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陽炎 (陽炎型駆逐艦) : ミニ英和和英辞書
陽炎 (陽炎型駆逐艦)[かげろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よう]
  1. (adj-na,n-adv,n) way 2. manner 3. kind 4. sort 5. appearance 6. like 7. such as 8. so as to 9. in order to 10. so that 1 1. yang 1
陽炎 : [かげろう, ようえん]
 【名詞】 1. heat haze 2. shimmer of hot air
: [ほむら, ほのお]
 【名詞】1. flame 2. blaze
: [かた]
 【名詞】 1. mold 2. mould 3. model 4. style 5. shape 6. data type 
駆逐 : [くちく]
  1. (n,vs) extermination 2. expulsion 3. destruction 
駆逐艦 : [くちくかん]
 【名詞】 1. destroyer 
: [かん]
  1. (n,n-suf) warship 

陽炎 (陽炎型駆逐艦) : ウィキペディア日本語版
陽炎 (陽炎型駆逐艦)[かげろう]


陽炎(かげろう/かげろふ)は、日本海軍駆逐艦#達昭和13年4月(2)pp.11-12『達第六十六號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十二年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻、掃海艇二隻、敷設艇一隻及驅潜艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十三年四月十五日 海軍大臣 米内光政治|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 陽炎(カゲロフ)|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 驅逐艦 不知火(シラヌヒ)|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 黒潮(クロシホ)|三井物産株式會社造船部玉工場ニ於テ建造 第七號掃海艇|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 第八號掃海艇|株式會社石川島造船所ニ於テ建造 敷設艇 白神(シラカミ)|鶴見製鐡造船會社ニ於テ建造 第七號驅潜艇』〕。一等駆逐艦陽炎型の1番艦(ネームシップ)である〔#艦艇類別等級表(昭和16年6月30日)p.4『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|陽炎型|陽炎、不知火、黒潮、親潮、早潮、夏潮、初風、雪風、天津風、時津風、浦風、磯風、濱風、谷風、野分、嵐、萩風、舞風、秋雲』〕。この名を持つ日本海軍の艦船としては東雲型駆逐艦陽炎に続いて2隻目となる。陽炎の沈没後、陽炎型駆逐艦は不知火型駆逐艦と改名された〔#内令昭和18年6月(4)p.44『内令第千二百二十六號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十八年六月二十日 海軍大臣 嶋田繁太郎|驅逐艦、一等ノ部中「陽炎型」ヲ「不知火型」ニ改メ同項中「陽炎、」「、黒潮、親潮」ヲ削ル』〕。
==艦歴==
舞鶴海軍工廠1937年(昭和12年)9月3日に起工〔#艦船要目公表範囲(昭和16年6月30日)p.20『艦名:陽炎|艦種:一等駆逐艦|(性能略)|製造所:舞鶴工廠|起工年月日昭和12-9-3|進水年月日13-9-27|竣工年月日14-11-6|(兵装略)』〕。1938年(昭和13年)4月15日、舞鶴工廠で建造中の駆逐艦に陽炎、浦賀船渠の駆逐艦に不知火、藤永田造船所の駆逐艦に黒潮の艦名が正式に与えられた〔。陽炎は同年9月27日に進水した〔〔『○進水 驅逐艦陽炎九月二十七日舞鶴海軍工廠ニ於テ進水セリ』〕。
1939年(昭和14年)2月2日、吹雪型駆逐艦敷波駆逐艦長山本岩多中佐は陽炎の艤装員長に任命された。2月6日、舞鶴海軍工廠に陽炎艤装員事務所を設置〔『○艤装員事務所設置 驅逐艦陽炎艤装員事務所ヲ舞鶴海軍工廠内ニ設置シ二月六日ヨリ事務ヲ開始セリ』〕。
8月10日附で山本艤装員長は陽炎初代駆逐艦長となる。陽炎は11月6日に竣工した〔。起工・進水とも2番艦の不知火の方が陽炎より早かったが(起工1937年8月30日、進水1938年6月28日)、竣工は陽炎の方が先である〔#艦船要目公表範囲(昭和16年6月30日)p.20『不知火|一等駆逐艦|(性能略)|浦賀船渠會社|12-8-30|13-6-28|14-12-20|(兵装略)』〕。舞鶴工廠で建造された陽炎型は、1番艦陽炎の他に4番艦親潮、9番艦天津風、15番艦野分、16番艦が存在する。
竣工後の陽炎は、ただちに第18駆逐隊(霞、霰)に編入された〔#陽炎型(2014)122頁『第十八駆逐隊(陽炎・不知火)』〕。当時の第18駆逐隊司令は久宗米次郎大佐。
11月1日、山本艦長は軽巡洋艦鬼怒副長へ転出、本艦2代目駆逐艦長として天野重隆中佐が任命された。
11月15日、第18駆逐隊は第二艦隊第二水雷戦隊に編入〔。同時に第二水雷戦隊司令官も後藤英次少将から五藤存知少将に交代した。また久宗大佐(18駆司令)も軽巡洋艦川内艦長へ転任。新司令として佐藤寅治郎大佐が着任した。
12月20日、2番艦不知火が竣工して第18駆逐隊に編入、同隊は定数4隻(霞、霰、陽炎、不知火)を揃えた〔。
1940年(昭和15年)10月15日附で天野(陽炎駆逐艦長)は第13駆逐隊司令へ転出、朝潮型駆逐艦朝潮駆逐艦長横井稔中佐が陽炎3代目駆逐艦長に就任した。
12月6日、第18駆逐隊司令は佐藤大佐から荒木傳大佐に交代した。
1941年(昭和16年)9月1日、荒木(18駆司令)は軽巡洋艦北上艦長へ転任。新司令として宮坂義登大佐(前職第30駆逐隊司令)が着任する。9月15日、第二水雷戦隊司令官五藤存知少将も第六戦隊(青葉加古衣笠古鷹)司令官へ転出、後任の二水戦司令官は田中頼三少将となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「陽炎 (陽炎型駆逐艦)」の詳細全文を読む




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